ぽんこつモデラーの徒然


by J2M3-21
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1/144 Northrop F-5E TigerII

ACEのF-5Eを製作しました。
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ACEは韓国のメーカーですが、このF-5EはレベルのOEMみたいです。ACEはレベルやイタレリ、アキュレイトといったメーカーの金型を作っていたこともあるそうです。
以前は河合商会が輸入代理となっていましたが、同社が破産後はしばらく入手難となっていました。最近は童友社が新たに輸入代理となり、再び入手出来るようになりました。
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キットでは後部の補助インテイクが開いた状態でモデル化されています。この状態はエンジン始動時かつ離着陸時のみとなりますので、今回はパイロットを乗せました。パイロットは付属していないので、他のキットから流用しました。韓国のF-5Eは射出座席が本来のものではなく、マーチン・ベイカーのものに変えられているそうですが、そこは気にしない方向で・・・
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キットは比較的最近のものなので、作りやすく、モールドもシャープで好印象です。
機首の横についている出っ張りやインテイクの航空灯などは省略されていたので自作してみました。後は機関砲も真鍮線で銃身を追加しました。
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塗装はいつも通り筆塗りです。灰白色の単色としましたが、韓国のエアショーで実機を見た知人に写真を見せていただいたところ、うっすらと濃淡二色の灰色で迷彩が施されているようでした。
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今回は武装は翼端のサイドワインダーのみとしました。キットにはAGM65マベリックも入っていましたが、AGM65は台湾やサウジアラビアといった国のF-5でのみ使えるようです。
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脚カバーはキットのパーツの型にして0.3mmのプラ板を切り出して製作することで薄さを再現してみました。
同じ形に切り出したはずですが、なぜか左右で微妙に長さが違ってしまいました・・・・(汗
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ロービジ風で国籍マークなどもちょっと味気ないですが、キャノピの下に描かれている2頭の虎がおしゃれですね。(タイガー2だからでしょうか?)
韓国のF-5Eは1974年から導入が始まりました。当初は南ベトナムから脱出してきた機体が配備され、その後は新造機が配備されました。1981年からは大韓航空の航空宇宙部門(大韓航空は航空会社でありながら機体の製造まで手がける世界でも稀有な会社だそうです)でライセンス生産が行われ、最終的に複座型のF-5Fとあわせて230機余が導入されました。導入された機体は現在でも運用が続けられています。このF-5Eのライセンス生産の経験が韓国の航空産業の礎となり、その後のサムスンで行われたF-16のライセンス生産に繋がっていったということで大変意義のある機体だそうです。
韓国も最近では韓米で共同開発が行われたT-50練習機が米空軍の次期練習機の有力候補となったり、エアバス、ボーイングの旅客機の部品製造も行うなど存在感を増してきていますね。

ではでは・・・

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# by J2M3-21 | 2018-02-18 23:28 | 模型 完成品 | Comments(0)

1/72 Messerschmitt Me262A-1a

昨年10月に発売されたエアフィックスのMe262を製作しました。
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いつか作ってみたい機体でしたので、発売日に買ったのはいいのですが、なんだかんだ4ヶ月ほど掛かってしまいました。
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各部品の合いは良好でスラスラ組めますが、エンジンポッドと主翼の接合部のみ、どうしても段差が出来てしまうので、修正を行う必要がありました。
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形が正確かどうかはよく分かりませんが、三角形の胴体断面や飛び出した形となるキャノピなど、Me262の特徴をよく捉えていると思います。
細かいパーツもよく出来ていますが、主脚にはトルクリンクを取り付けられそうなモールドはあるもののトルクリンク自体はパーツ化されていないので、プラ板で自作しました。
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前脚にはトルクリンクがパーツ化されていますが、これは初期に生産された機体のみにあったものらしいので、今回は切り取りました。
前から見れば分かるように、主翼の上反角は限りなくゼロです。実機では6度ほどあるようです。潔くて好きです。
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塗装は筆塗りで行いました。上面色と下面色の境目のボカシは上手くできるか不安でしたが、なんとかそれっぽく仕上げることが出来たと思います。
マーキングは第7戦闘航空団第Ⅲ飛行隊と、第54爆撃航空団(戦闘機)第9中隊の所属機の二種類から選択できます。今回は箱絵にもなっている後者を選びました。そういえば、パッケージには操縦席後方に防弾版を装備した機体が描かれていますが、あれは'45年3月以降生産分の機体に装備されてものらしいですし、キットにもパーツは入っていません。
デカールは品質のいいものが付属しているので、安心して貼ることが出来ますが、尾翼部のチェッカー部分のみ、上手く馴染ませることが出来ず、少し苦労しました。潔く塗装で仕上げてもよかったかもしれません。
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キットのバリエーション展開は次はA-2aかR4M空対空ロケット弾を追加してデカール変えで第44戦闘団仕様かと思っていたら、次は複座夜戦のB-1a/U1だそうですね。
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以下、第54爆撃航空団(戦闘機)のちょっとした話です。



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# by J2M3-21 | 2018-01-25 11:26 | 模型 完成品 | Comments(0)

1/144 Curtiss-Wright P-36A

MARK Ⅰ modelsのP-36Aを製作しました。

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チェコの簡易インジェクションメーカーのキットです。
キットはスケールを考えればモールドもちょうどいい塩梅で、パーツ段階では良い印象でしたが、各パーツの合いはあまり良くなかったため組み立てには少し苦労しました。
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キットはA型とC型の選択となっており、マーキングは四種類から選択可能でした。デカールはきれいな印刷で、モールドにもよく馴染む上質のものでした。
その中から今回は真珠湾で日本軍の迎撃を行った第46追撃飛行隊のラスムッセン少尉機としました。
塗装は下地に黒を塗った後にシルバーを塗り重ねました。今回は全部筆塗りです。

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P-36は各国に輸出された機体なので、キットもデカール替えで輸出名であるH75、モホークとバリエーション展開がなされています。

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P-36はボーイングP-26の後継として1935~1936年にカーチス・ライトがモデル75として開発した機体で、セバスキー(後のリパブリック)P-35、ノースロップ3Aと競作となりました。
これらは全金属製の機体、引き込み脚、可変ピッチプロペラ、密閉式コックピット等、後の大戦で標準的な装備となるものが実装された近代的戦闘機でした。
当初P-36は搭載したエンジンが不調で、思うような性能が出なかったため、一旦は堅実な設計であったP-35が採用されました。
ただ、P-35は堅実ではあるものの、やや保守的な設計であることによる将来性への疑問や、P-36もP-35と同様のライトR-1830エンジンを搭載すれば問題が解決する見込みがあるということで、エンジンを換装した試作機が製作されました。この試作機は良好な結果を残し、1937年にP-36Aとして米陸軍への正式採用が決まりました。
米陸軍からは200機を越える発注があり、これは戦間機としてはかなりの大量発注だったようです。生産の途中からは7.62mm、12.7mmの一挺ずつだった武装を7.62mm×3、12.7mm×1と強化したP-36Cとなりました。
また、1937年にはP-36に液冷のアリソンエンジンを搭載したホーク81が試作され、これは後に第二次世界大戦の各戦線で活躍することになるP-40となりました。
前述したようにP-36は多くの国が興味を示し、輸出も盛んに行われました。ヨーロッパではフランスやノルウェー、オランダが購入しました。フランス軍機はナチスの侵攻に対して立ち向かい、少なくない戦果を記録しています。フランス降伏後はヴィシー政権により使用されましたが、降伏時に発注済ではあったものの未到着だった機体はそのままモホークの名でイギリスに供与されました。ノルウェー軍機はナチスの侵攻により接収された後、フィンランドに供与され、オランダ軍の機体は主に東インド軍に配備され日本軍と戦いました。
アジアではオランダの東インド軍の他に中国やタイが購入し、増長する日本との戦いに投入されました。また、アジアに配備されたイギリス軍機も日本軍と交戦し、時には優勢に戦闘を展開するなどの活躍を見せています。
P-36はフランスのヴィシー政権や、フィンランド、日本進駐後のタイの機体など枢軸国側に渡った機体も数多くあり、連合国と枢軸国のどちらでも使用されるという数奇な運命を辿った機体といえます。
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今回製作したラスムッセン中尉機は、1941年12月7日に真珠湾に配備されており、奇襲攻撃を行った日本軍に対して迎撃を実施したことで有名な機体です。
当時P-36は旧式とされ、P-40と交代されつつありましたが、後方とされたハワイにはまだ10数機ほどが配備されていました。
そのほとんどは地上で破壊されてしまいましたが、生き残った機体をサンダーズ中尉を長機として、タッカー少尉、ラスムッセン少尉、スターリング少尉の4機がホイラー飛行場を離陸、地上からの誘導でカネオヘ湾上空で下位を飛行する日本軍機11機を発見、攻撃を開始します。
この日本軍機は飛行場攻撃で隊長の飯田大尉を失っていた空母「蒼龍」の零戦隊8機と、他の空母の零戦隊ではぐれたものが一緒に飛んでいたもののようです。
高位から攻撃を仕掛けたP-36隊はサンダース中尉が一機に煙を吹かせ、そのまま戦闘に突入しました。途中で別の飛行隊のP-36 2機が加わり、最終的に6機対11機で行われた空中戦は米側がスターリング少尉を失い、日本側は2機を失うという結果となりました。
この戦闘でラスムッセン少尉は機銃の故障に見舞われながらも一機の零戦に損傷を与えましたが、自らも被弾して離脱しています。損傷を与えた機体は撃墜と認定されたようですが、実際には当該機は帰還していたようです。
この空中戦は開戦当初、量で劣る米軍側が勝利を収めた事例として、ラスムッセン少尉の「パジャマ姿で迎撃に上がった」という逸話と共に宣伝されました。
性能の面でも零戦とP-36では開きがあり、零戦が上ではありますが、設計されたのが一世代違うので当然といえば当然でしょう。




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# by J2M3-21 | 2017-10-14 11:25 | 模型 完成品 | Comments(0)

1/144 BAC TSR.2

ピットロードのTSR.2を製作しました。
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キットは最近のもので、半スナップフィットのような形態を採っており、胴体などは内部に補強剤が張り巡らされ、普通のプラモとは若干毛色が違うという印象を受けました。
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基本的にはすらすらと組むことが出来ますが、機首のあたりに大きめのヒケが生じているのでそれを埋めることや、キャノピの特にヒンジにあたる部分と機体との間に段差が生じるので、閉じる場合は修正が必要になります。

機体の白色塗装にはガイアノーツのアルティメットホワイトを使用しました。
白色の塗装は投下した核爆弾が起爆した際の閃光から機体を守るためのもので、国籍マークも彩度を落としたものとなっていました。
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キットではエアブレーキのほかに、爆弾倉の扉や脚格納庫の扉の開閉が選択可能となっています。ただし、実機の脚庫の扉に関しては、前足横の小さな扉と、主脚横の扉以外は普段は閉じていて、脚の引き込み、引き出し操作の際のみ開くようになっています。

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写真は撮っていませんが、武装としてレッドベアード核爆弾とおぼしき爆弾が付属しています。
キットは実機の特徴的なスタイリングをよく捉えており、「純白の怪鳥」という表現がぴったりです。

実機は1950年代後半にEE キャンベラの後継としてイギリス空軍から提示された要求に従って開発されたもので、侵攻、攻撃、偵察を一手に担い、不整地での運用能力や短距離離着陸性能をはじめ大きな航続距離、低空侵攻能力、核攻撃能力などの要求を満たすために機体に新たな素材を採用したり、新型の電子機器を開発するなど、当時他国に遅れを取りつつあった分を挽回するべく、相当の力を入れて開発は進められました。1964年に初飛行を実施したTSR.2でしたが、飛行性能自体は良好であったものの、依然エンジンや電子機器等の開発は途上であり開発に費やした期間、予算は莫大なものとなっていました。また、当時のイギリスは戦後から続く不況の中にあり、TSR.2は当然ながら市民や野党からの反発を招いたばかりか、当時の与党であった保守党からも疑問の声が上がり、調達計画は数回に渡り変更され、その都度調達予定数は減少していきました。
そんな中で1964年の選挙で労働党が政権を握り、ウィルソン内閣が発足します。労働党はTSR.2の開発期間、予算の超過を問題視しており、とうとうTSR.2の開発中止が命じられ、試作機の破棄が行われました。
その後イギリス空軍はアメリカのGD F-111の導入を画策しますが、これも失敗に終わり、最終的にはBAe バッカニアが導入されました。

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一般に飛行機好きの中では「悲劇」として扱われる傾向のあるTSR.2ですが、開発中止は当然といえば当然の処置であり、当初の要求が過大であったことにその原因があるような気がします。
また、仮に政権が交代しなくても中止にはならないまでも国内の産業基盤維持という理由で少数が生産されるに留まったかもしれません。
一方で仮に実用化されていて湾岸戦争あたりまで現役に留まっていたら、砂漠色の迷彩が施された同機が見れたかもしれません。そういう「if」を作りやすい機体であり、架空の仕様で製作するのも面白い機体だと思います。


ではでは・・・

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# by J2M3-21 | 2017-08-28 00:21 | 模型 完成品 | Comments(0)

1/72 Handley Page Hampden

エアフィックスの1/72 ハンプデンを製作しました。
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古いキットで初出は1960~1970年代のようですが、たまに再販されているので、未だに店頭で見掛けることが出来ます。
全体にびっしり打ってある凸リベットが時代を感じさせます。
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古いキットではありますが、組むのはそれほど難しくありませんでした。もちろん合わせ目周辺の凸モールドが消えるくらいの修正は必要になりますが、パーツの合いは概ね良好でした。特に主翼に関しては取り外し式にしても問題ないくらいで、おかげで完成後の収納スペースの圧縮に貢献しています。

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キットは「空飛ぶフライパンの柄」と呼ばれた特徴的なスタイリングがよく再現されていると思います。
また、昔のキットらしく可動箇所も多く、エレベータ、エルロンと主脚が可動します。
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塗装は筆塗りです。マーキングはイスラエル空軍仕様としました。

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実機は1932年にイギリス空軍から提出された仕様に基づいてハンドレページ社が開発したもので、機体は全金属製で、胴体の幅を座席一つ分まで狭めるなどにより空気抵抗を軽くし、動力銃座の不採用、搭乗員を機体前部に集中させて後部は細くするなど軽量化に努めた結果、出来上がった機体は当時としては高速で、爆撃機にしては軽快の機動も可能なものでした。

しかし、実戦では乗員の集中配置は死角が多く、一席分しか幅の無い狭い胴体では乗員のストレスも溜まりやすいなどの欠点が見えてきたようで、他の多くのイギリス製爆撃機と同様に夜間作戦に従事することとなりました。(夜間の方が搭乗員の疲れは蓄積しやすいと思いますが、前線から引き揚げるほど作戦機の数に余裕はなかったのでしょう)

この機首付近に乗員を集中配置するというのは同時期のDo17やJu88でも同様となっており、一種の流行だったようですが、それらは並列で座れるほどの胴体幅を有していたことを考えるとハンプデンがいかに徹底していたかが分かるのではないでしょうか。

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後ろから見ると胴体の細さがよく分かります。

今回はマーキングを施したイスラエル空軍の機体は第一次中東戦争時にモスキートやボーファイターと共にイギリスから盗みだされた機体の内の一機で、103飛行隊に配備されたそれらの機体と共に戦いました。戦後は109飛行隊に移管され、夜間偵察や哨戒に使用された後、'50年代半ばに廃棄されたようです。
・・・というのは嘘です。付属のデカールが劣化で使えなかったので適当なデカールを探していたら思いついただけです。
イスラエルが第一次中東戦争の際にイギリスからモスキートやボーファイターを盗み出したのは本当です。当時のイスラエルはとにかく飛行機が欲しくて、あの手この手でさまざまな飛行機を掻き集めており、中にはRC-3のような変り種もいたので、ハンプデンくらいいたっておかしくないかな・・・と思っちゃったのです。
実際にハンプデンを使用したのはイギリスの他、カナダ、ソヴィエト、スウェーデンだったそうです。

ではでは・・・

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# by J2M3-21 | 2017-08-27 17:29 | 模型 完成品 | Comments(0)